コラム5 「生きている土」の実体

「生きている土」の実体

片野教授は、雑草対策の根本は雑草発生の要因を取り除く、「柔・温・潤」の生きている土づくりにあると自著の中で述べています。その中で、雑草誕生の歴史を振り返りながら、生きている土づくりに貢献する雑草の「役割」と土のでき具合とともに種類が変化する「遷移」について言及しています。

そして、自然農法の雑草対策に難儀し「雑草はなぜ生えてくるのか」という議論の中で見出された最も重大なヒントは、自然農法創始者岡田茂吉師の堆肥の役割を論じた一言にあったと述べています。

「見よ地上には枯草も落葉も豊富に出来、年々秋になればそれが地上を埋め尽くすではないか。これこそ全く土を豊穣にする為のものであって、それを肥料にせよと教えている。そうして耕作者は堆肥に肥料分があるように思うが、決してそうではない。本来の堆肥の効果は、土を乾かさない為と、温める為と、固めない為である。つまり水分を吸収し、熱を吸収し、土が固まらないようにするにある。」(「農業の大革命」昭和二十八年五月五日)

この一文に‘生きている土,の実体を見出された片野教授は次のように述べられています。

「(前略)この『生きている土』の実体とは何か。右の一言は、その核心を突いているように思う。すなわち、生きている土の実体は生きている人間と同じである。人間も死ねば乾いて、冷たく、固くなってしまう。生きている土とは、『柔かく、温かく、適度な湿り気をもつ(これに、柔・温・潤という漢字をあててみた)』土であり、死んだ土には『固・冷・乾』という字をあてた。

雑草の発生する意味は、死んだ土を生きている土に戻すためにあるのではないかということに気づいていく。したがって、もし、農耕地生態系とはいえ、「柔・温・潤」の土を人間の手でつくることができるならば、雑草は生えてくる役割がないから、発生してこないのではないかという仮説が生まれてきた。(後略)」(前掲書「自然農法のイネつくり」より)